くらいやま のぼるにつけて むらさきの
くものむかえを いつかとぞまつ


 崇峻天皇4年(591)、百済の僧日羅により開山されたと伝えられ、険しい山道に難渋する日羅を、九頭の鹿と猪が霊地に案内したことから「九鹿猪山」と名づけられたとされる。
 その後、鎌倉時代には大友能直が寺領を寄進。また、大友貞親が8町四方を境内とし、80町の貢税を免除し、本堂、多宝塔、鐘楼、山門、方丈などを再建するとともに、12坊、100人の僧徒を擁する修行、祈願道場に発展させた。
 兵火によりいったんは廃墟となるも、かって、寺門興隆を願って日羅が蒔いた銀杏の種が大樹に育ち、その銀杏の大樹中に観音の霊像ありとのお告げを受けた量海により、寛永9年(1632)中興。寛文8年(1668)、賢厳により「九六位」と改められた。九六位山(452メートル)の山頂近くに建つ寺からは、大分市や別府湾、臼杵市、臼杵湾が遠望できる。

千手観世音菩薩 日羅上人
天台宗
〒870-0277 大分県大分市広内442番地
097-528-1360  


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まえの札所 つぎの札所
閑静な山頂に建つ本堂

観音堂内陣のお前立本尊

大師像と山門

銀杏の大木と石仏 竹林と鐘堂


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