たかのやま だいしのいおり こうざんじ
あじのじょうどぞ へんじょうこんごう

 興山寺の歴史は真言宗総本山高野山から始まっている。天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州攻めにより、兵火が高野山に及ぼうとしたとき、秀吉と直談判して山を守った人物が、木喰応其上人である。その後応其上人は青巌寺と興山寺を創建して山内の中心伽藍とし、さらに諸堂を再建した。明治になって興山寺は青巌寺と併合され、金剛峯寺と呼ばれるようになった。由緒ある興山寺の名前が消えることを惜しんだ山縣玄浄僧正が、稲葉氏の協力を得て臼杵に寺号、寺宝を移し、興山寺がこの地で再興された。山号は高野山のままである。臼杵の地においても、高野山から移ってきた寺という意味で、地元の人たちからは寺号よりも山号の「高野山」と呼ばれ、親しまれている。九州西国霊場の本尊、十一面観音立像は宝形造の本堂ではなく、正面の仏堂に安置されている。境内には約200体の石仏が点在している。

無量寿如来座像 十一面観音立像
応其上人 玄浄僧正
高野山真言宗
〒875-0053 大分県臼杵市福良2366-1
0972-63-0361 0972-63-0361

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まえの札所
静寂な山中にたたずむ本堂

霊場本尊、十一面
観音立像は、柔和
なお顔をされて
いる

現在は車にて本堂
前まで上れるが
昔は古道を歩いて
登っていた
アジサイをはじめ
四季おりおりの花
が境内を飾る
巨石のうえに三十
三観音が祀られて
いる


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